「ミツな人々」…それは、ミツと蜜に関わってくれているお客様のこと。
そんなお客様の声を紹介します。
今月の「ミツな人々」は広島県にお住まいの前田里水さんです。
7年前の暮れ(12月27日頃だったと記憶しています)に「私も高知で豆腐屋をやっています。山下さんのような美味しいお豆腐を作れるようになりたいのですが…」と、お電話をいただきました。
以来、前田さんとのお付き合いが始まりました。豆腐作りは勿論、衛生管理、販売戦略・・・等、結構厳しい言葉もぶつけたりもしました。前田さんはそんな厳しい言葉にも持ち前の明るさで肯定的に受け止めてくださり、一心に豆腐づくりに取り組まれました。
残念ながら、豆腐屋を続ける事が出来なくなり、現在は広島で暮らしておられますが、新たなヴィジョンに向かって前向きにチャレンジされています。
「諦めないこと」
こんにちは。前田里水です。
山下社長に出会ったのは7年前。
当時の私は、高知県の人口3万人の小さな町の(社)青年会議所のメンバーとして、直木賞作家の高橋治先生が主宰する僻村塾という勉強会に参加していました。
僻村塾の講師は、高橋先生をはじめとして、作家の方々や東大の教授等毎回有名な人をゲストに招き、開催されていました。
その高橋先生がお好きな豆腐を取り寄せた時がありました。それは1丁1,000円の木綿豆腐だとか。
その豆腐を食べ、その当時、豆腐屋の娘だった私はものすごい衝撃を受けました。
何もつけず一口食べた時、大豆の香り、口の中に残る甘さ…高知県には無い味…美味しい!私は自分が豆腐屋だという事を忘れ(恥ずかしい)翌日数人の友達と改めて食べて頂いたほど…。
その時に、高橋先生から、「石川県の白峰村の僻村塾に真面目に来る青年がいて(その当時は青年、今おじさま)いい豆腐を作っているよ。結婚して益々美味しくなった。あなたも会いに行ってごらん」と、山下社長の話を初めて聞かされたのです。
そう、あの1,000円のお豆腐が山下ミツ商店のお豆腐「堅とうふ」だったのです。
行動派の私は、年末の慌しい時期でしたが、早速山下社長に電話をかけました。
「記まじめ!」が豆腐のネーミングでしたから、電話で山下社長の声を聞いた時「あっ、記まじめ君だ」と思いました。
山下社長は、電話で私の話を真剣に聞いて下さいました。
豆腐の作り方から始まり、正直言って家の商売が苦しく大変な時期でしたから、経営全般のことも聞いて、アドバイスをしていただきました。
その日からが、山下社長と豆腐の話の始まりです。
年が明け、1月の寒い時期でしたが、遂に白峰村に修行に行くことになりました。
南国育ちの私には大雪の銀世界、その中に立派なお店と工場が・・・。建てられたばかりの新工場内は、夫婦愛と若い社員の熱気でいっぱい。信号すらない白峰村にこんな豆腐屋があるなんて…言葉が見つかりませんでした。
4月には山下社長が来高。社長曰く「叱咤激励」。いつも怒られて一緒に豆腐作りをした日々。その年、山下社長は3回も来高し指導して下さいました。
山下社長の豆腐作りに対する情熱論に感銘を受け、一生懸命ついていったあの日。
今、振り返って思う事は、私が今までで1番頑張った時期でもあります。おかげで地元の新聞に私が、私の作った豆腐が、大きく掲載されて製造が追いつかない日もありました。
それまで山下社長は、自分の会社の衛生担当の方、会計担当の方、お取引のある豆腐機械関係の方を連れて来て下さり、出会いを沢山与えて下さいました。
4年後、残念ながら豆腐屋をたたむ事になりました。
現在、42歳になった私が思うことは「人との出会いで人生は変わる。お金も大事だが、お金には変えられない財産だ」ということ。
現在、広島県で新たな生活を始め、夢に向かって元気に頑張っていますが、山下社長から多くを学んだことは今も忘れません。
「諦めないこと!」
今でも時々山下社長に電話をかけています。
山下社長を豆腐屋で抜くこと、超えることは出来ませんでしたが、別の仕事で超える事が、私の恩返しであり、また目標で現在進行中です。
頑張ります! |